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- 2011年12月10日
- コラム
弁護士:久保井 聡明
「異分子」の力
現代は「コンプライアンス」の時代だと言われる。不祥事が発覚し,あれよあれよという間に破綻してしまう企業も後を絶たない。「コンプラ倒産」なる言葉まで生まれている。これだけ不祥事が発覚し,マスコミから叩かれ,社会から糾弾されながら,なぜ同じような過ちが繰り返されるのか,なぜ他の企業での教訓を生かすことができないのか,不思議に感じることもしばしばあったが,先日,ある本を読んでいて,「なるほど,そういう見方があるのか」と感じたことがあった。
それは,個人の人間関係で求められる美徳や道徳と,企業などビジネスの関係で求められる道徳やコンプライアンスが,得てして矛盾してしまう,ということである。
例えば,個人の人間関係であれば,他人から世話になれば当然のことながらお礼をきちんとすることが美徳,道徳とされる。また,「和を以て尊しとなす」の言葉に表されるように,話し合って譲り合うことも美徳とされるし,長幼の序をわきまえない人物は評価されない。
しかしながら,一旦,これが企業,ビジネスの場面となると,これら個人にとっては美徳とされる行為も,場合によってはコンプライアンス違反とされてしまう。公務員や政治家に世話になったことの見返りにお礼をきちんとすると贈収賄事件になってしまう。公共工事の参加者同士が話し合って譲り合えば談合罪になるし,取締役会で年長者の誤った方針に異を唱えなかった取締役や監査役が代表訴訟で訴えられるケースも多い。弁護士の世界でも,事件を紹介してもらったことの謝礼を弁護士が払うと,弁護士法に違反する非弁提携行為とされる。
こうしてみてくると,個人としては申し分のない人物ほど,企業などビジネスの関係ではコンプライアンス違反を犯してしまう危険性がある,という皮肉な構図も見えてくる。「あのような一流企業でどうして繰り返し同じような不祥事が行われてしまうのか」という疑問も,人間関係を大切にし,個人としての道徳や常識を兼ね備えた人材が豊富な企業であるからこそ,ビジネス上はコンプライアンス違反を犯してしまいがち,ということになる。
そこで,どのようにすれば,企業が不祥事を繰り返さないで済むのか。その一つの方策が,「異分子」の力であると思う。長年,同じ釜の飯を食った仲間だけの人材で構成された組織は,どうしても個人の人間関係を重視しがちになる。長幼の序を過度に大切にし過ぎて言うべき意見を言わないまま流されてしまうこともある。そんなときこそ,「異分子」-個人の人間関係に縛られない異質な存在が威力を発揮する。
近時,会社法の改正や上場規則の改訂で社外取締役を義務付けしてはどうかという議論がされていたが,結局,経済団体の反対により見送られた。経済団体が反対する理由は様々であるが,一つは,外部の人間に会社の経営のことが分かる筈がない,素人が入っても役に立たない,という抜き難い観念があると思われる。
しかしながら,企業がビジネス社会においてコンプライアンスを達成していくためには,個人の道徳に縛られない「異分子」の力が是非とも必要なのではないか,そのためにはむしろ,業界には素人であったほうが役立つのではないか,弁護士も今後はそういった分野に積極的に進出し,コンプライアンス体制の推進に貢献していければ,と感じる。
(記:平成21年夏)